小笠原紀行・その2

12/4PM 小笠原父島

 おじさんのワゴンに群馬勢6人(男1女5)の荷物も載せ、わたしは助手席に乗り込む。群馬勢はどこか他のところへ行くらしい。後で知ったが、彼らはおばさんの姉およびその知り合いで、何度も父島には来ているのだそうだ。

 宿へ向かう前に、翌日ホエールウォッチングをするパパヤマリンスポーツへ手続きに。メインストリートを西へ。とはいっても二見港の街の中なので、歩いてもたかが知れてる距離ではある。狭い島だし。なんでも父島には時差式信号は2ヶ所しかないそうな。

 宿へ向かう。途中の小さな店でおじさんが寿司の折り詰めを買ってくる。昼食用。

 車はほとんど走っていない。起伏は結構多い。街を外れ、山を越え、おじさん宅「ビレッジ・ソルティーウエイブ」に到着。父島の南部、小港海岸のそば、北袋沢と呼ばれるあたりである。周囲に人家は少ない。

 トレーラーハウスが並ぶ奥にわたしの宿泊する部屋。おじさんが読書用に建てた小屋なのだそうな。おじさんが「ここじゃ靴下なんかはかないんだ」といってビーチサンダル(ギョサンと呼ばれる)を貸してくれた。荷物をほどき、Tシャツショートパンツに着替え、ふたりで寿司を食べながらいろいろと近況を話す。主にわたしのだが。

 島内での移動手段をどうしようかと思っていたのだが、原付を借りることにする。街へはバスに乗っていくことにする。バスに乗る人は全然いないから、何処で手をあげても乗せてくれるし行き先を告げればその前で降ろしてくれる、とおじさんの弁。バスは毎時30分に出る、というので腹ごなしもかねて散歩しながら小港バス停に向かう。

 宿の背後には竜舌蘭の生い茂る岩山。生えている樹木もふつう日本で見られるものではない。南国である。八瀬川ぞいの遊歩道を歩いていく。イソヒヨドリが飛んでいく。周囲にはタコノキやガジュマルも。

 ところが13時台だけは昼休みのためかバスがなかった。ついでなので小港海岸を見物。南洋の森林(ジャングルといった方が早そうだ)を抜けると、白砂と蒼い海。

 高知時代からそうだが、蒼い海を見るとうれしくて涙が出そうになってしまう。小笠原の海は、サンゴの砕けた白い砂が海底を被うためか、高知よりももっと明るい蒼さである。

 肩のあたりからなにかこわばったものが抜けていくのを感じた。

 この色を見るためだけにでも、ここに来た甲斐があったな。

 宿まで帰り、バスがない旨を告げると、おじさんは車で街まで送ってくれた。知り合いの店だといって「サンフラワー」という店を紹介してくれる。50ccのバイクを借りる。原付を運転するのは教習所以来なので、船着き場の駐車場でレクチュアを受ける。

 さて、運転の練習も兼ねて島を走ってみるか。メインストリートを宿とは逆側に。すぐに三日月山が目の前に迫るので、山側に曲がって街中をあてどもなく。数分走ると尾根に。尾根を下っていくと、兄島瀬戸を挟んで兄島を臨む砂浜、宮の浜に出た。

 バイクを降りて海岸を歩く。海の中にサンゴが見える。スキンダイビングをしている人も居るようだ。沖からは小さな船が帰ってきた。ウェットスーツに身を包んだ人を何人も降ろしたところをみるとダイビングツアー船らしい。昼の便で着いて、もうダイビングに行ったのか。せわしいなあ。とはいえ、遊べるのは実質3日間なのだから、密度濃く遊ばねばならないのも確かだ。

 ぶらぶら走り、だんだん慣れてきた。こういう乗り物は大変にたのしい。日も暮れてきたので宿に戻る。気温が高いので違和感があるが、12月なので16時半にはもう日が沈むのである。

 群馬勢はトレーラーハウスですっかりくつろいでいた。ヤギの声が聞こえる。外に出ると、裏山に白い姿が見えた。野生のヤギは大量に居るそうだ。

 群馬勢は街で夕食を食べるとか。ワゴンに同乗して街へ。彼らが降りた店でわたしも降りようとすると「そこじゃないよ」とおじさん。まあつまりはおばさんの血族とおじさんの血族とに分れて食事ということである。

 おじさんと二人で中華料理屋へ。「ビール飲むか」と聞かれる。いくらでもいただきます。生ビールで乾杯。ふたりして飲み食いかつ話す。それにしてもこのおじさん、妙な人だよなあ、まったく(ほめことば)。

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