20世紀クロスワード 解説裏話

解説裏話 その1解説裏話 その2解説裏話 その3解説裏話 その5

解説の陰に莫大なデータが…

今回、解説を書くにあたって、巻末にかかげた参考文献をはじめとするたくさんの図書やホームページの情報を利用させていただきました。

また、作者の方々から、たくさんの資料をいただいたことは、とても有り難いことでした。特にひらやま氏からメールでたくさんのデータをいただきましたが、なかなか取り入れることができませんでした。そこで、一端を紹介しましょう。

たとえば、早慶(ヨコ95)については、

◎[参考]早慶戦あれこれ

・1903年11月21日
慶應義塾大学と早稲田大学が初めて野球試合を三田綱町のグランドで行う(第1回早慶戦)。結果は11対9で先輩格の慶應義塾大学の勝利。

・1905年5月8日
第1回早慶ボートレースが向島1350mコースで開催。早稲田の勝利。

・1906年11月11日
早慶戦が応援団が過熱で無期延期になる。

・1921年3月13日
三田-稲門野球試合が行われる(休止以来の早慶戦)

・1922年11月23日
第1回早慶対抗ラグビーが行われる。慶應義塾大学が14対0で快勝する。

・1925年10月19日
同年9月20日の東京六大学野球リーグ開始に伴い、ファン待望の早慶戦が復活。

・1926年10月28日
早大が、早慶相撲優勝賞品の日本刀を盗まれる。

・1928年8月25日
元慶大野球部投手が、入営中に母危篤の偽電報を打たせて早慶OB戦に出場する。軍法会議にかけられることになる。

・1929年5月18日
神宮の早慶戦であふれた客が警官隊と乱闘を起こす。

・1929年11月1日
初めての天覧早慶戦(慶應義塾大学と早稲田大学の野球試合)が行われる。

・1930年4月29日
25年ぶりに早慶対抗ボートレースが開催される。

・1930年5月12日
早慶戦の入場券申込みのはがきが23万枚になる。

・1933年10月22日
六大学野球早慶戦で、慶應の水原茂三塁手が早稲田側応援席から投げられたリンゴを投げ返して紛争となる(リンゴ事件)。

・1940年6月2日
慶應義塾大学と早稲田大学の学生が早慶戦後に銀座で騒ぎ、70人が検束される。

・1943年10月16日
戸塚球場で、慶應義塾大学と早稲田大学の野球部が出陣学徒壮行試合を行う。戦前最後の早慶戦。

・1946年6月15日
戦後初の早慶戦が行われ、徹夜組も含め超満員となる。慶応が4対0で勝つ。

鞍馬天狗(ヨコ262)については、

●雑誌「ポケット」大正13年5月号に大仏次郎の鞍馬天狗が初登場(「鬼面の老女」)。また、昭和2年からは「少年倶楽部」でも「角兵衛獅子」が連載される。映画版の初代鞍馬天狗は実川延笑(1924年)、2代目が尾上松之助、日活映画「鞍馬天狗」高橋寿康監督(1925年)。3代目が嵐寛寿郎である。シリーズ第1作「角兵衛獅子」(1927年)。アラカンの愛称で知られる嵐寛寿郎だが、当時の名前は嵐長三郎だった。

記録(タテ379)では、ベルリンオリンピックの記録映画「民族の祭典」について、

●ベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」(1938)は「民族の祭典」「美の祭典」の2部構成を取る。監督はレニ・リーフェンシュタール。山岳映画で知られるアーノルド・ファンク監督に見出された彼女は、一連のファンク作品で人気女優となる。その頃、台頭したナチのゲッペルス宣伝相が彼女の才能を高く評価し、ナチズムを宣伝する長編ドキュメンタリー”Sieg des Glaubens”(1933)を監督させる。この作品で見事な手腕を発揮した彼女は、ゲッペルスのお気に入りとなる。ニュールンベルグ・ナチ党大会の記録映画「意志の勝利」(1934)は最高のプロパガンダ映画として名高い。第2次世界大戦開戦後は映画製作は思うにまかせず、敗戦後はナチ戦犯として4年間の投獄生活を過ごす。その後は1本の映画を残したのみで、スチール写真家に転じた。

資産家(ヨコ398)のカギに出てくる映画「市民ケーン」について、

●オーソン・ウェルズが製作、監督、脚本、主演をつとめた映画「市民ケーン」(1941)は、1987年のハリウッド百年祭記念の世界映画ベストテンの第1位に選ばれる。

さらに、ノー(タテ367)のところでノーヒットノーランについては、

◎その他のノーヒット・ノーラン珍記録

・1917年5月2日 大リーグのカブス対レッズ戦、両軍投手が共に9回までノーヒット・ノーランに押さえる。延長10回にレッズが1点をあげて勝利。

・1973年8月19日、阪神対中日戦、江夏豊が9回までノーヒット・ノーランに押さえるも味方も得点できずに延長戦突入。延長11回裏に自らサヨナラホームランを打つワンマンショー。延長11回までノーヒット・ノーラン達成も日本では唯一。

・1987年8月9日、中日対巨人戦、ルーキー近藤真一がプロ入り初登板でノーヒット・ノーラン達成。

という情報のほか、CBSのホームページからとったたくさんの英語のデータがありました。

また、溝口さんはじめ、チェックをしていただいた「ニコリ」のスタッフの方には感謝しています。特に、莫大な原稿を読んでいただきけずっていただいた真理さんには、感謝の言葉もありません。誤植が多いのは、ひとえに私の責任です。沢村栄治(ヨコ324)の解説で、職業野球が始まったときの7球団のうちで阪急を落として6球団になってしまったのも私のせいです。初版を買われた読者の方にも、この場を借りてお詫び申し上げます。