「鍜治真起さんお別れの会」 のページ

令和3年8月10日、ニコリ前社長の鍜治真起さんが逝去しました。鍜治さんが生前に皆様から賜りましたご厚意に、深く感謝申し上げます。
そして11月2日、東京都内のホテルにて「鍜治真起さんお別れの会」が行われました。ここでは、おもに会にご出席になれなかった皆様へ、会で展示した鍜治さんの写真などの一部を紹介し、メッセージをいただければと存じます。

メッセージを送りたい方は、こちらをどうぞ。

鍜治真起さんお別れの会 写真

鍜治真起さんお別れの会 動画

鍜治真起さんお別れの会 メッセージ集

届いたメッセージの一部を到着順にお送りします。

鍜治真起様

ニコリ40周年を見届けて、すぐ旅立たれたのですね。
お会いしたことは一度しかないですが、お声がけいただき嬉しかったです。
ありがとうございました。
もっとお話したかったです。
これからもペンシルパズルを作っていきますので見守ってください。

船越みお

お会いしたのは数回でも、ずっと近くにいて下さったような気がします、カジさんとはちょっと離れてしまったけれどパズルはこれからも一緒。どこかにカジさんを感じながら。

初めてのニコリはカックロでした。高校の授業中にコピーが配られ、私の脳は鷲掴みされました。ルールも定石の説明もないその問題を1ヶ月かけて解き、もっと解いてみたいという欲にかられていた頃、雑誌のニコリに出会いました。

30年以上前の事です。数独ブーム以来パズル誌は珍しくなくなりましたが、その頃はクロスワード誌が少しとニコリしかなく、しかもニコリは私の住んでいた福岡では天神の紀伊国屋書店しか取り扱いがなく、手に入れる為にはバスと電車を乗り継がないといけない。行っても新刊が出ているとは限らなかったし(笑)

どこに出かける時もカバンにはパズルと鉛筆を入れて行きます。子どもの学校で保護者がある時も、ニコリのページを切りとって持参し、先生方から隠れながら楽しんでます(スリルも楽しんでます)

ニコリのパズルに出会ってから、私は退屈したことがありません。鍜治さん、楽しい時間をありがとうございました。

ならざきやすこ

社長を辞めたと聞いた時には、これからもっともっと自由に活動なさるのかなと呑気に考えていました。とても寂しいです。
2年前の新年会、病気治療中で行くのをためらっていましたが、頑張っていってお会い出来て良かったです。いつかの新年会でいただいた色紙、実は書いてあることの意図が良く分かっていないのですが(笑)、大切にとってあります。
これからもパズル、やり続けるし作り続けます!

ニコリという雑誌がなければ訪れなかった楽しい時間があり、出会わなかった人たちがいます。
ニコリはパズル専門の出版社ですが、それ以上の意味のある会社だと思っています。このような会社を興してくださり、本当にありがとうございました。
今は、ゆっくりお休みください。

ご冥福をお祈りいたします。

放談会でお会いしたときの、楽しそうに仕事(?)されている姿が目に浮かびます。これからもパズルを楽しみますので、そちらの世界でもパズルを楽しんでください。合掌。(めろんちゃん)

数独を始めニコリのパズルは私の生活になくてはならないものです。これからも鍜治さんは私の心に生き続けます。

西表島に沈む夕陽を見ながら…献盃 (イソヒラヴ)

ニコリと知り合って40年程、気分転換に本を探していたところで『ニコリ』の原形?手書きの様な薄ーい冊子が目に留まったころから私の愛読書に。どんな会社かと会社を探してうろうろしたこともありました。キャラクターに馬、ニコリダービーと鍛冶真起さんの競馬愛も盛り込まれたニコリは、パズルやパズル友達を増やして育っている感じです。ニコリ祭りでの緩ーく肩肘張らない鍛冶真起さんの話し方も大好きで、お会い出来て本当に良かったと今思っています。パズルに興味を持たせてくれたニコリを作って下さって鍛冶真起さんには感謝しかありません。
御冥福をお祈りしております。

ニコリひと桁号からの長いお付き合いでしたので、鍜治前社長様のご訃報に呆然としております。たくさんの楽しい時間をありがとうございました。心よりご冥福を心よりお祈り申し上げます。  迷猫

神奈川新聞を通じて、相模原市にこんなに面白い雑誌がある、と知って読み始めたのは高校2年生のとき。以来、読者歴が長いだけの不良読者でした。
2年前に退職したとき、これで数独協会の集まりに出かけて、鍜治さんにお目にかかれるようになるだろうと思っていましたが、コロナ禍に阻まれ、結局願いは叶いませんでした。

以前、本家放談会に参加していた頃は、パズルの話より競馬の話ばかりしていたような気がします。しまいには開催日の府中競馬正門前駅において発車待ちの電車内でお目にかかる始末。どきどきしながらお声掛けさせていただいたときの事は忘れられません。

「遊びに向かう大人の姿勢」を鍜治さんや周辺の大人な皆さんから学んだ気がします。残念ながら私は皆さんのように上手には出来ませんでしたが…

そう遠くない未来に、私もそちらに行く事になると思います。そしたら鍜治さんを必死で探しますから、お会いできたらお馬さんの積もる話でもいたしましょう。

だから、さようならは言いません。

「また遊びましょう」

令和3年11月2日

関戸 ゆり子

数独が大好きな母が鍛冶さんと同じ胆管がんで7月に亡くなりました。
入院中にもずっと解いていたとのことを聞いております。数独を広めて下さって本当にありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。

鍜治さんは競馬好きの厳ついおじさんのイメージだったのに、写真で拝見した柔和な笑顔のギャップに驚いたものです。出張馬房はおろか本屋すらない地に住んで20数年、競馬場のありがたみをここで感じるとは思っても見ませんでした。ニコリも数独もこれからもファンです。ありがとうございました??ニコリと仲良くして下さい!

学生時代にアルバイトをしていた地方・小出版流通センターのことなどを語り合いたかったです。
二コリさんとお仕事をさせていただいて以降、新聞・雑誌のパズル欄のニコリさんの名前に目が行く様になりました。
日本のパズル界に大きな功績を残されたのだと改めて実感しています。
ご冥福をお祈りいたします。

初めてニコリと出会ったのは、34年前、岡山の書店でした。地方にまでパズルを届けてくださって感謝しております。ニコリは私の世界をひろげてくれました。ありがとうございました。どうぞ安らかに。 松宮いもうと

鍜治真起左衛門殿
貴殿とは互いに毛筆の巻紙にて通信致したし、神戸での度々の痛飲も、また愉しゅう御座った。
衷心よりご冥福を祈り上げ候
年内には墓参を致したく存じ候
砂山 進之介

鍜治さん ありがとう
クロスビー創刊からの お付き合いでした。
ニコリまつりで お会い出来て とても嬉しかったです。又そろそろニコリまつり40年、50年かなと思っていました。鍜治さんの人生、女の私から見ても、凄く羨ましい人生でした。
天国でも 楽しく 忙しくしていますか?
鍜治さん 本当に ありがとう。

鍛冶さんが本誌内投稿コンテストの選者を降りてから、ピタリと私のもとにはニコリグッズが来なくなりました。
たくさん選んでくれて、ありがとうございました。
不定期の、初期の、いい意味でふてぶてしい、パンパンに詰まったニコリが大好きでした。
私など「パズル作家」と言っていいのでしょうか。今後勇気出して言いたいです。
ニコリと同じ時間を歩けて、楽しかったです。
心からお礼と感謝を、地方から祈らせて頂きます。
現ペンネーム・拓海

お元気でバイタリティーに溢れているイメージだった鍜治さんがお亡くなりになっただなんて、今でも信じられません。

ニコリには亡き父との思い出もたくさん詰まっています。
初めての出会いは高校生1年生、父が会社帰りに梅田の紀伊国屋書店で買ってくれた創刊号だったと…
その後も発行の度に買ってきてくれた父と一緒に、ワイワイとパズルを解いたのも良い思い出です。

鍜治さん、ニコリを作ってくださりありがとうございました!
たくさんの楽しいパズルをありがとうございました!

天国でも楽しくお過ごしください。
ありがとうございました!

鍜治さんがいらっしゃらなければ、私がニコリと出会うことはなく、パズルを作る楽しみも知らないままでいたでしょう。楽しい世界に引き込んでいただき、感謝しております。
お会いすることは叶いませんでしたが、これからも鍜治さんの偉大さに思いを馳せつつ、パズルを作ります!

小学生のときにニコリに出会ったことがきっかけでパズルの世界を知ることができました。あなたがいなかったら、あなたがニコリを創刊しなかったら、この素晴らしい世界に出会うことはなかったでしょう。素敵なパズルの数々をありがとうございました。

鍛冶さんはとても優しい方でした。
数独の楽しい集いに誘って頂き、時には酒をご馳走になり、「ああだ、こうだ」と世界の数独話に熱が入りました。

数年前に東戸塚西武デパートで数独のイベントを開きたいので応援頂けませんか、とお願いしたときにも笑顔で引き受けて頂けました。
そして鍛冶さんの魅力で数独イベントは大盛況。
特に女性ファンが多かったのにびっくりです。

その後、私は体調をくずしてしまい、鍛冶さんにお会いする機会がないままコロナの時代に突入。
そして、一通のメールで鍛冶さんのご逝去を知りました。余りに突然でした。
以前から体調の悪いことを表に出さず、熱心に活動されていた鍛冶さんのことを思うと、病を言い訳にする自分が恥ずかしくなります。

せめて自分も生きているうちに、鍛冶さんのように足跡を残したいと思いました。今は、誰でも数独を楽しく学び、遊べるようにと、解説動画を作っています。
ようやく百本余りアップできましたが、だれでも楽しく学べるかというと、まだまだです。
いつかは千本まで、そして英語の動画も作り、鍛冶さんが世界行脚で数独を広められたように、私もネットで数独の楽しい世界を広めていこうと思います。

(中略)鍛冶さんのような魅力あふれる方に巡り合えたことに感謝し、鍛冶さんの思いを未来につなげるよう頑張ります。

鍛冶さんにまたお会いできる日が来るまで、いつもの笑顔でしばしの間待っていてください。

東戸塚の数独ファンより

14歳のときに浦和の須原屋書店で出会ったニコリ。その時は自分がパズルの作り手になることなど想像もしていませんでした。

それから20年近く、ニコリのパズルを解くこと、作ることに夢中になりました。そのニコリを作られていたのが鍜治さんでした。
17歳の時、鍜治さんにはじめてお会いした時に、私のペンネームを知っていたことに感動したことを覚えています。
その頃は先輩の作家さんたちとともに、あなたがとてもかっこいい大人に見えました。
自分が大人になると、「いい加減でもいいのだ、ふざけた大人でもいいのだ」ということも教えていただきました。

「あのさ、東京ドームって深夜安く借りられるらしいんだよ。それでさあ、外野の人工芝のところでさ、徹夜麻雀やりたいんだよ。照明もそこだけにしてもらえればもう少し安くなるかもしれない。寝っ転がって打つの。使用料は負けたやつが払うってことにしてさ。いいと思うんだよなあ。だって麻雀マットいらないんだよ?」
私はなんでこんなくだらないことを覚えているのでしょう。

放談会では、長い付き合いになる友人もできました。社会人になってからも作り続けていたのですが、転勤をしてから忙しくなり、いつしか作り手として離れてしまい、ずいぶん経ちます。最後にお会いしたのは転勤前の放談会だったでしょうか。

なぜか勝手に、いつまでも飄々とした顔で過ごしていらっしゃるのだと思っていました。いつかまた会えるのだと。もう一度お会いすることができなかったことが残念でなりません。

人生で、遊ぶこと、楽しむことに関して、とても影響を受けた人でした。パズルに限らず、人生のたくさんの楽しみに気付くようになるきっかけを作ってくれた、ニコリという雑誌に出会わなければ今の私はなかったでしょう。
鍜治真起さんのご冥福を心からお祈りいたします。

Dirty Harry

たくさんの楽しいパズルと、それを楽しむ機会を与えてくださり、ありがとうございました。

鍜治真起様

訃報に接し大変驚いております。
本日はお伺いできず、申し訳ございません。

鍜治さんとニコリさんには大変お世話様になりました。
苦しかった時期、ニコリさんのパズルに出会えて、助けてもらいました。
本当にありがとうございました。

鍜治さん、世界に数独が広まって良かったですね。
夢がかないましたね。
本当に本当に感謝しかありません。
ありがとうございました。

一読者より

ニコリさんとはちがうパズルの畑で育った者です。
隣の畑からいつもニコリの畑を見ていました。
ニコリ畑ではたくさんの優しい花が育ち、その花は近くに遠くに世界中へ広がっていきました。
ニコリ畑では愉快な人が働き、楽しげなお客さんがたくさん訪れています。

そんな畑を作ったのはどんな人だったのか。
一度お会いしてみたいと思ってましたが、念願叶わずとても残念です。
どうぞゆっくりなさってください。
おつかれさまでした。
(今井洋輔)

ニコリ。クロスビー。NG。月刊ニコリスト。私の青春時代、いつもそばにニコリがありました。お会いしたことはないけれど、パズルの楽しさを教えていただき感謝しています。鍜治さん、本当にありがとうございました。

福岡市のビターチョコレートです。
訃報に接したときは驚愕しました。体調がよくないことは聞いていましたが、まさかこんなに早く逝かれるとは……。
「数独の父」として著名な鍜治さん、でも私は数独は苦手。そんな私がニコリストとして人生の終盤を楽しむことができているのは、鍜治さんがニコリという、作家と読者の双方に開かれた場を作ってくださったからです。いろんなペンシルパズルに触れることで、頭が活性化され、高齢者特有の症状の進行も抑えられています。また、多くのニコリストのみなさんと交流ができました。本当にありがとうございます。
今日の「お別れの会」、出席できないのは残念です。九州福岡の地より、鍜治さんの天国でのご活躍をお祈りいたします。
鍜治さん、ニコリを作ってくださって、本当にありがとう!

ご無沙汰しております。

私は創刊の翌年(1981年)から、妻は1989年からニコリを購読し、パズルに触れ合ってきました。
鍜治さんとの思い出は枚挙に暇がありません。
本誌やwebでの掲載記事のみならず、放談会でさまざまな話をしたこと、そして結婚式ではスピーチもいただき、感謝の思いでもいっぱいです。
これからは新たな旅先で数独を広め続けていってください!

改めてご冥福をお祈りいたします。

2021年11月2日

森永哲平
森永麻香

ニコリと出会い早40年。こんなに長いおつきあいになるとは、感慨深いものがあります。まだまだ長くつきあっていこうと思っています。(今後は呆け防止にシフトするのかも、ですが)

鍜治さん、日本に数字のパズルを広めていただき、ありがとうございました。

書店でニコリを見つけて、紙面から溢れるセンスの良さに酔いしれました。パズルだけではなく、パズルの合間に散りばめられた名言の数々にも魅了されました。それらは鍜治さんのお人柄、知性、生き方の美学から生み出されたものだったのでしょう。

すばらしい雑誌を、そしてパズルのある生活を我々に遺して頂きありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

ペンギン文書(札幌市)

しがないサラリーマンなので、平日の東京は断念しました。(恋する)変人です。
シャチョーとの思い出は、新年会の楽しそうな挨拶を最前線で見ていたことや、泊まり込み放談会等の朝まで馬鹿話をしたことです。福岡放談会の1次会になかなか現れず、2次会で言い訳をしていたのも楽しそうでした。2018年4月の放談会?の後、終電くらいまで飲んだのが最後だった様です。それも楽しかった。
あと百回くらいは馬鹿話をしたかった。

鍜治真起さん、ありがとう。

 ニコリとは、35年のつきあいになりますが、良きにつけ、悪しきにつけ、励ましていただきました。
 大病した時も、ニコリを持って、入院しました。
 コロナの今も励ましてもらっています。
 どうぞゆっくりお休みください。そして、今後のニコリを見守ってください。

アマチャ・デ・カッポレ

高校生でニコリに出会って30年以上、たくさんのパズルをありがとうございます。
天国で「ニコリ」に会えたかな。

ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。

十数年前のことですが「地元紙に掲載されているパズルは誰が作っているのだろう?」と調べるうち「ニコリ」にたどり着きました。

その後、鍜治真起さんの記事を見つけ、同郷の方が世界で活躍されているのを誇らしく思いました。

生前に一度だけお会いすることが叶いました。宴席の帰り際にやっとご挨拶出来ただけですが、にこやかに握手してくださいました。

もうお会いできないのが本当に残念です。心より故人のご冥福をお祈り申し上げます。

たいちゃん

ニコリのパズルで紙と鉛筆で頭の体操をする心地良さを味合わせてもらい30年以上になります。
人生山あり谷ありですがどんな時もニコリのパズルを解くことで励まされてきたように思います。
鍛冶さん、ありがとうございました。
きっと天国でも紙と鉛筆で人々を虜にしておられることでしょう。
ご冥福をお祈りしています。

中学生だった40年前に出会ってからずっとニコリが大好きです。学生時代(80年代後半)は参宮橋の事務所やオフ企画に参加し、イメージ通りの「起」さん、さすが!と思ってました。数独がブレイクしてからは海外に行くたびに書店でSUDOKUの本を買いました。おばはんになった今も数独やカックロのペンパ本に日々助けられています。久しぶりに本誌を買うと、大好きな世界がそのままあることに深く感動しました。私の人生にニコリは不可欠。「起」さんが逝かれてもこれまで通り、すばらしいパズル本が供給されることを実感し、ほんとに感謝しかありません。本当に本当にお疲れさまでした&ありがとうございました。

今まで生きてきた中で、私にとっては、確実にニコリの存在は大きいものです。だから、鍜治さんの影響もとても受けている、という事になります。そんな人が、私だけではなく、たくさん全国に、全世界にいるのでしょうね。それは、これからもずっとずっと続いていくのだろうと思います。

ただ、個人的には、非常にお世話になったのに、ここ何年もご無沙汰になってしまっていたのが、申し訳ないです。ごめんなさい。

ずっとずっと、忘れません。
ありがとうございました。

数々のペンシルパズルを私たちに届けてくださってありがとうございました。生活にかけがえのない彩りとなっております。今後もペンシルパズルを楽しんでいきます。二コリも引き続き応援して参ります。

鍜治さんの『定期購読終了のお知らせ』
には書体にお人柄が表れていて、文面にユーモアを滲ませ、毎回ほっこりさせて頂いてました。向こうでも数独をひろめて、
皆さんを楽しませてあげてくださいね。

30年ほど前からニコリ誌のファンです。パズルの合間に入る面白い言葉や、キャッチコピーを鍛冶真起さんが書いていたそうですね。ウイットに富んで面白かったです。「しゃべる薪」コーナーのひょうひょうとしたユーモアも好きでした。鍛冶真起さんどうぞごゆっくりお休みください。小熊禮子

「ニコリ」というすてきな「場」を作られたことが鍜治さんの最大の功績だと思います。ひょうひょうとした文章をいつも楽しみにしていました。
どうぞ安らかにお眠り下さい。

この度は誠にご愁傷さまでございます。
心からお悔やみ申し上げます。
小学生の頃には母のニコリのザ・点つなぎを兄と早い者勝ちでやり、シークワーズを解けるだけ解き、数独をもらい、スリザーリンクを自分ルールで解き…と親子二代で一冊まるっと楽しんでいました。ウチの家族仲はニコリによってしっかりと結ばれております。
鍜治真起さん、本当にありがとうございました!

30数年前に手に取った
「数字は独身に限る」に
「あっ、この名前好き!」と思った気持ちと、
解き方が全くわからず、
空きマスに、8個くらいの
数字を仮置きして、結局解けなかった。
そんな思い出が
今でも目の前に取り出せています。

とても辛い時には
好きな音楽を聴きながら
ニコリのパズルを解き続けていました。

今も毎日
ニコリのパズルで楽しませていただいています。

ありがとうございました。

年代や職業、住んでいるところや家庭環境も十人十色、でも趣味は皆さんペンシルパズル、というおもしろコミュニティを作ってくださった鍜治さんに感謝いたします。

謹んでお悔やみを申し上げます。

楽しい40年。
同じ時代を生きて来れたことに感謝。

ありがとうございました。
あっちでも楽しくやってくださいね(笑)

鍛冶さん、お疲れ様でした。いつかお会いしたいと思っていましたが、叶わず残念です。ニコリのおかげで、読解力が強化されたと思います。兄がはまって、私がはまって、今は母が数独にはまっています。40周年記念グッズは、一生の宝です。スタッフの皆さん、これからも宇宙一のニコリをお願いします。

鍜治さん、今頃は天国で何をなさってますか?天国でも数独ブームをおこしてるかもしれませんね!

いつか私もそちらへ行く時には、ぜひ直接お礼をお伝えしたいです。

肩の力を抜いて人生を楽しむこと、
好きなことは好き!と言っていいんだ、
と、鍜治さんに教わった気がしています。

鍜治さんの笑顔、忘れません。
ありがとうございました。またいつか!

本日はお別れの会に赴くことができず、メッセージでのご挨拶となりますことを、ご容赦ください。

鍜治真起さんの訃報に触れたとき、深い哀しみと寂しさを感じたことが、強く心に刻まれています。

鍜治さんのことは、誌面を通じて存じ上げていただけの、一読者ではありますが、誌面から、親しみやすさや楽しいことを伝えていきたいという気持ち、新しいことへの好奇心などが伝わってきて、きっと鍜治さんご自身のお人柄もこうなのだろうと、思いを馳せておりました。

思えば、ニコリ本誌との出会いは高校生だった30年前に遡り、そのころ、本や雑誌を読んでも出版している会社の社長さんの名前を覚えることなどなかったのに、鍜治さんのお名前はしっかり覚えていて、それだけ魅力的な印象をお持ちの方だったのだと思っています。

数独をはじめペンシルパズルは、私の世界を広げてくれました。家族と暮らしていた頃は、家族それぞれ好きなパズルが違っていて、家族の新たな一面を知った体験になりました。大人になってからは、無心に手を動かし、集中して頭を使うことで、気持ちが落ち着いた場面がたくさんありました。今でも、寝る前に数独を解くと、よく眠れます。

思い出や感謝の気持ちは尽きません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

そして、末筆ではございますが、ニコリ社員のみなさま、このような場を設けてくださり、本当にありがとうございます。この数ヶ月、心身ともに休まることがなかったのではないかと拝察いたします。どうかお疲れが出ませんよう、お体お大事にお過ごしください。

鍛冶さん、さようなら
ニコリをこの世に送り出して下さって、ありがとうございました

 お別れの会に参列いたしました。
 しめやかななかで気取らない雰囲気の会で、短い時間でしたが、お別れを告げることができました。鍜治さんの笑顔の写真や、とぼけたような文章が会場にたくさんあって、ご生前にとても精神的に豊かなお人柄だったことが偲べました。
 すてきなお別れの会を開いてくださったスタッフの皆様に感謝申し上げます。合わせて、鍜治さんのご冥福を改めてお祈りします。
 今頃は空の上で天馬を走らせて競馬しているんでしょうね。

パズルに添えられた、鍜治さんの軽妙なコピーが大好きでした。40年間、本当に楽しませていただきました。ありがとうございます。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

ニコリが届く→早い者勝ちで好きなパズルを解く→わからないと家族に相談する→みんなで考える→家族円満
ニコリは我が家の家族の絆の一つです。
ニコリを作ってくださって本当にありがとうございます。
どうぞやすらかに。
あちらでも楽しいパズル雑誌作ってくださいね。

カジマキさんへ
あちらの世界へ旅立ってしまわれたのですね
まだまだ元気でいらっしゃることを当たり前として、編集長を退かれた事も知らずにおりました。
20年と少し前、生意気にもアポ無しでしかもカジマキさんへ名指しで電話をかけ、阪神大震災のボラにクロスワードを持っていくからニコリをコピーさせてくれと不躾なお願いをしたにもかかわらず、「頑張ってください」と仰ってくださった時の爽やかな声は今でも鮮明に覚えています。これからはそちらでパズルの布教に励んでくださいませ。
またいつかどこかでお話させていただける事を願って。

1981年に就職で東京に出てきた私は渋谷の東急ハンズでニコリに出会いました。
7号から買い始めました。

子供ができてからもニコリのイベントに家族で何度か参加し楽しませて貰いました。
先日年長の孫が数独を解き始めたと言ってました。

家族三代に渡って同じ趣味を持てたのも鍛治さんがニコリを始めてくれたおかげです。

ありがとうございました。

闘病お疲れ様でした。
あちらに行ってもじっとしていないでしょうね、きっと。

軽妙な文章や絵が好きでした。クロスワードぐらいしか目立っていなかった頃、ペンシルパズルの雑誌に触れて、自分がパズルが好きなのだと自覚した人は多いでしょう。好きな人たちに極上の遊び場を与えてくれた鍛治さん、本当にありがとうございました。

母が偶然創刊準備号を本屋で見つけてからのお付き合いでした。
パズル好きは子どもに遺伝し、無事パズル好きから数学好きになりました。
母は先立ち彼方でかじさんとお会い出来ているかしら。
パズル好き遺伝子を私の子にも伝えて行きたいと思います。

あなたには笑顔が似合います。
素適なお写真を拝見して感謝いたします。
数独に魅せられました。
毎日挑戦して楽しんでいます。
もう生活の一部になってます。
ワクワク感をありがとうございました!

鍛治さん。
ニコリというパズル雑誌を作ってくださってありがとうございました。
イベントで数回お目にかかっただけでしたが、いつも穏やかでニコニコしてらっしゃる姿が印象的でした。

きっと向こうでも一大ムーブメントを起こしているのでしょうね!

関係者の皆様方、このような場を設けてくださりありがとうございます。
これからもニコリをずっと出し続けてください。よろしくお願いします。

銀座の福家書店で手に取った「ニコリの合体本」が最初の出会いでした。それから38年くらい、ずっと数独にはまりっぱなし。いちばん好きなパズルが数独です。

鍛治さん、こんな素晴らしいパズルの数々とニコリを生み出してくださってありがとうございました。

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