クロスワードと俳句

by 光圀こうさく

日本の誇る芸術、俳句。十七文字という世界最短の文学である。

俳句が現代の形で創設されたのは江戸時代のことだ。

なかでも三大俳人といわれる芭蕉、蕪村、一茶が為した功績は計り知れない。

松尾芭蕉は伊賀上野、現在の三重出身。

荘子の思想に多大な影響を受けた芭蕉は、造化の産物たる自然の大きさと、その前での人間の小ささを描いている。

「松島や ああ松島や 松島や」

芭蕉の才能を以ってしても、松島の絶景にはただ感動するほかすべはなかった。努力放棄とも読める作品には、しかし人の力の限界に対照されることで見えてくる自然の大きさへの畏敬が存在する。人の無力さを悟ることで、芭蕉は「侘び」「寂び」に加えて「軽み」の境地に至れたのだと言えよう。

与謝蕪村は摂津国毛馬、現在の大阪出身。

俳画をよくした蕪村は、その俳句にも絵画的な描写手法を多く用いている。

「菜の花や 月は東に 日は西に」

「五月雨や 大河を前に 家二軒」

また蕪村の句は、日本語そのものの機能美を引き出すことでその作品性を大きく高めている。映像と言語、その双方に訴えかける蕪村の芸術性は人々を魅了するのである。

小林一茶は信州柏原、現在の長野出身。

一茶の作風はあくまで通俗的である。一茶の視点には世界を見下ろすような傲慢さは見られず、常に人間の営みとともにある。いや、その視点は人の高ささえも通りすぎ、鳥獣草木を朋友と抱くかのようなやさしさにあふれている。

「痩蛙 まけるな一茶 是にあり」を始めとする句に象徴される一茶の「通俗」は読む者に共感を覚えさせずにはいられない。その通俗は、世間への媚びではなく、世界への愛情から生まれたものなのである。

彼ら三人の俳句は折りに触れ人々の口にのぼせられ我々の記憶の片隅に残るものである。

彼ら三人の共通点として、人生の多くを旅の中に生きたことがあげられるだろう。

封建時代である江戸期、人々が他国の名勝・物産・風俗というものに触れる機会は限られていた。だからこそ、そういった情報を伝えてくれる浮世絵風景画というものが発達したわけである。

彼ら漂泊の俳人たちがしるした俳句は、今でいうなら紀行エッセイのような文化として受け取られていたのではなかろうか。

そして我々が(そう、今この文を読んでいるあなたも含めて)作り上げようとしている日本全国クロスワード。

これもまた、日本各地の情報を伝えようとする文化のひとつであると言えるだろう。

そして、俳句とクロスワードには、もうひとつの共通点がある。

どちらも限られた文字数の中で情報を伝える媒体であるということだ。

俳句はその文字数の少なさ故に、読み手の想像力を励起し、多弁を弄するよりも華やかな世界を出現させうる。

吟味され、練りこまれ、推敲されたクロスワードのヒント。これもまた、情報の少なさ故に、解き手の想像力を要求し、連想の世界へ遊ばせるという機能を有しているのだ。

限られた文字数の無限の世界。完成の折には、是非たのしんでいただきたい。

「イヤだから限られた文字での芸術ってのは大したもんだと思うけどさ、誌面のスペースも限られてるしヒントの量だって限界があるのも解ってるけどさ、でもヒントを削るのも大変なんだよまったく、削りすぎりゃ意味不明になるし、だからって懇切丁寧に説明するスペースがないし、だいいちみんなが送ってくれたネタを使えずに切っちゃうのは忍びないしもったいないんだよ、なんとかなんないのかねホントにもう、最近じゃオレ文章を書く時いちいち文字数を数えるクセがついちまったんだぜ、もう大変なんだよまったくまったく、誰か助けてたすけてタスケテー」

2002年6月14日