「北方領土」の日

by 雪幸彦

2月7日は、「北方領土の日」です。1855年2月7日(安政元年12月27日)の日露通好条約で、両国の国境が択捉島とウルップ島の間に定められたことを根拠にしています。つまり、択捉島とそれ以南の国後島・色丹島・歯舞諸島が日本の領土であると、認められたことをアピールしているのです。もちろん、先住民であるアイヌなどの人たちの意向などは一顧だにされなかったわけですが、この条約が、「北方領土」返還要求の基礎となっているのです。

毎年この日は、「北方領土」に関する色々なイベントが行われますが、時として、日本政府はこの問題の解決に真剣に取り組んでいないのではないか、という気がする時があります。この日だけお祭り騒ぎをして済ますというのは、問題でしょう。

日本政府のやり方がその場限りだと私が感じるのは、「北方領土」には、郵便番号も市外局番も決められていないし、国道も通っていないからです。日本の領土だと主張するのであれば、決められるものは決めてしまうべきでしょう。国土地理院の五万分の一の地図は発行されていますが。

それから、宗谷岬にある「日本最北端の碑」を取り壊せという人がいないのも不思議に思っています。そう言えば、高校の地図帳でも「日本最北端は択捉島」となっているだけで、その場所の地名は書いてありません。その地名をご存じの方は教えてください。

もう1つ、私が常々疑問に感じているのが、「北方領土」という言葉です。東京の「北方」と言えば川口や所沢のことであって、王子や赤羽は東京の「北部」です。デンマークがドイツの「北方」で、ハンブルクはドイツの「北部」です。ですから、択捉・国後・色丹・歯舞がもともとの日本の領土だと主張するなら、「北方」でなく「北部領土」と呼ぶべきでしょう。穏当に言うなら、「北海道東方群島」とか「東北海道群島」という名で呼ぶのが、適当だと考えます。「北方」と「千島」という言葉を避けるのが、クレバーな呼び方でしょう。

でも、こんなことにこだわるのは、20世紀的考えですね。事を荒立てないというのは、日本人の優れた資質かもしれません。これからは、国境の意味も薄められていくはずです。「北方領土」を「自由と競争」ではなく、先住民も含めた「自由と共生」の新天地にしていくことこそが、求められているのではないでしょうか。

2002年2月4日