私は一度でいいから雑誌をつくってみたかった。自分のアンテナで好き勝手な誌面にして、ゴッタ煮だが主張のある、つくり手の顔が見えて、威勢のいい元気な雑誌。

パズルってのを雑誌というカタチに料理するとしたら、どうなるのだろう。

パズルなんて、解いたこともつくったこともないよ。

その頃(1978年)は、総花的な雑誌が定着していた上で、カルチャーマガジンも続々と生まれていた時代であった。

「ビックリハウス」は読者と遊びをキャッチボールしていて、まあ、ユニークだった。こんな熱いやりとりをしてみたい。

「ウィークエンド・スーパー」は助平雑誌なのに、この雑誌だけ編集後記があって、編集側の喜怒哀楽がわかり、末井昭という人は面白い人だなあ、編集後記には力をいれよう。

「面白半分」は編集長が期間限定で替わっていくのが軽くていい。替わると誌面もガラリ変わるからこっちも驚いてしまうが、そんなつくり方もありなんだなあ。

梶山季之が編集人兼発行人の「噂」は、印刷部数とか原価計算まで暴露してくれて、雑誌を出し続けるのって、いろんな神経を使っているのかあ。覚悟がいるぞ。

「WET」という、ロサンジェルスで出ているバス(風呂)がテーマの雑誌は滅茶苦茶な誌面デザインで、ここまで遊んでいいのか、という気楽さをもらった。

それから1年経っても、パズル雑誌は出なかった。