1996年のニコリを振り返る
1996年に発売されたニコリ
59号 2月10日発行
60号 4月10日発行
61号 6月10日発行
62号 8月10日発行
63号 10月10日発行
64号 12月10日発行
1996年のニコリを振り返る
この年も変わりなく順調に6回発行されたニコリ本誌。ページ数や定価も変わりませんでしたが、誌面内容は60号を機に大きく変わりました。特にパズルとコンテストのページがガラリ一新。新しい読み物も始まりました。その詳細はというと…。
59号では、まずコンテストのページが大きく変わりました。これまでは募集の次々号に結果を発表するコンテストがほとんどでしたが、それだと間延びして盛り上がりに欠けることから、できるだけ募集の次の号で結果発表することになりました。例外は、取り組むのに時間がかかる「スケルトンコンテスト」と、60号から始まる単発コンテストくらいです。
この変更に伴い、これまで続いていた「ダブルクロスコンテスト」「クロスワードの冒険」が終了し、「十七文字さんこんにちは」も、有名句を並べ替える部門だけになりました。
なお、1号おきの開催だった「スケルトンコンテスト」はここから毎号開催(結果は次々号で発表)となりました。
パズルページでの出来事といえば、フィルオミノが「オモロパズルのできるまで」の下の欄に昇格する、という宣言がなされ、61号からそこに掲載されるようになりました。
そして60号では、パズルのページが大幅にリニューアルされました。
「やさしいパズルのコーナーを特集の直後に、パズルの解き方を巻末付近に設ける」という、17号から続いていた方針を変更し、「1種類のパズルを、EasyからMediumまでの数題を1~2ページに集め、そこに解き方説明も入れる」というスタイルになりました。
クロスワードも変わりました。59号までは4種類のサイズで計12題載っていたのが、この号からビックロ(15×25マス)と11×11マスの2種類で計9題となりました。題数は減りましたが、ビックロは2から4題に増加。しかも序盤ページにビックロを載せたので、インパクトは増しました。
裏表紙では、カメラマンの大江弘之氏撮影による写真パズルが始まりました。写真のパズルは、現在も毎号載っています。
パズル以外では、興味深い人や場所を訪ねる読み物もスタート。1回目は、ゲーム愛好者の集まり「なかよし村とゲームの木」でした。
コンテストでは、まず「ニコリ発明クラブ」が掲載4回で残念ながら終了。また、次々号で結果を発表する単発コンテストを1つずつ行うことになり、この号では「うめ字コンテスト」を開催。このコンテストは現在も行われていますが、これが第1回でした。単発コンテストはその後、平均大賞、セブンピースコンテスト、発想飛びコンテストなど、過去に行われたコンテストのリバイバルが何回か続きます。
61号では、59号で募集した第4回ニコリダービーの結果発表があり、今度の1着は52枠でした。
62号では、へやわけがついに1ページ大のジャイアントサイズで登場。カックロ、スリザーリンク、ぬりかべも含めて4つのジャイアントが初めて並びました。
読み物ページでは、亀井明夫氏のからくり箱を取材。その後、63号では「養老天命反転地」、64号では、当時秋葉原にあった平野さんのパズルのお店を取り上げました。どれもパズルファンが飛びつくような話題でした。