1987年のニコリを振り返る

1987年に発売されたニコリ

16号 1月1日発行
17号 4月15日発行
18号 7月25日発行
19号 10月25日発行

1987年のニコリを振り返る

1987年は、ニコリ本誌に画期的な変革の年となりました。それまでは「毎回突然発行 次号不言実行」の不定期刊でしたが、17号より季刊になります。この号からページ数も増えて内容も大幅にパワーアップ。ニコリ本誌は新時代に入りました。

不定期時代最終号となった16号。「次号から季刊化」のお知らせも載っています。ちなみに、キャラクターのニコリは前号まで前髪が揃っていましたが、この号で思い切って散髪に行き(?)、現在の髪型になりました。季刊化に向けて、気分一新といったところでしょうか。

特集は推理パズルで、8ページにわたって10題掲載。マトリックスと呼ばれる表を使うタイプの推理パズルが定着しました。

連載中の「Pencil Game」からは、読者からの投稿で「不眠ソリテア」というパズルが誕生。まだ「オモロパズルのできるまで」のコーナーはありませんでしたが、読者が新しいパズルを考案して投稿する、という流れが少しずつできてきました。

いったん誌面から消えていた「ドルードル」の出題がこの号から再開。ちなみに次の17号から20号まで、ニコリの表紙はドルードルの問題絵が飾られていたのでした。

みすりる氏の「9人の侍」や「突然ですがニコリスト」など、いくつかの連載がこの号で終了。時代の節目を象徴する号だったと言えるでしょう。

そして季刊化最初の号となった17号。本文は96ページに増え、中綴じからムセン綴じ(いわゆる「背中がある」状態)に変わり、定価は480円になりました。

内容も大幅にリニューアル。パズル初心者にも親しんでもらえるように、やさしめのパズルを前半でまとめて掲載し、「パズルの解き方」というページも新設しました。

1つのテーマに沿ったパズルを掲載する「特集」もこの号からスタート。第1回のテーマは「平安朝からこんにちは」でした。

おなじみのまちがい探しは、この号から「次号までの3カ月(90日)で解けるように」ということで、まちがいの数は90個に増加。また、ナンバーリンクが初めて掲載され、最後のページでは切り抜きパズルも登場しています。

ちなみに、私(安)はこの号でパズル作家としてデビュー。29号までは一読者としてパズルを投稿していました。

読み物ページでも大きな動きがありました。芦ヶ原伸之氏の「パズル病棟日誌」が連載開始。さらに、クロスビーで連載されていた夢枕獏氏の「夢喰いエッセー」が引っ越してきました。

前号まで続いた「Pencil Game」に代わり、この号では外国産のカードゲーム(「ウノ」「ピット」など)を紹介。現在の「ニコリおすすめゲームズ」につながります。

読者参加型のコンテストも続々登場。スケルトンコンテストと平均大賞が、第1回の出題。読者からの暗号を募集する「明るい暗号」も始まりました。

18号では、白い地図に道や建物などを書き込んでいくパズル「日曜日に町を作る」がスタート。23号まで続き、好評だったのでその後も何度か登場します。

その他は、17号で始まった各コーナーが盛り上がりを見せ、季刊化は読者にも浸透していきました。

19号では、推理クロスが初掲載を果たしました。

7枚の与えられたピースを組み合わせて図形を作るコンテスト「清少納言知恵の板」がスタート。優秀作の発表は、次号のハミダシで行われ、これはのちの「セブンピースコンテスト」になりました。