1984年のニコリを振り返る

1984年に発売されたニコリ

10号 1月15日発行
11号 5月15日発行
12号 10月25日発行

1984年のニコリを振り返る

この年の春、金元信彦(金)が入社し、ニコリスタッフは5人になりました。この頃には他社からもパズル雑誌が次々と創刊され、ニコリにとって脅威ではありましたが、ニコリはニコリで試行錯誤しながら独自の地位を築いていった、と言っていいかもしれません。

10号では、それまで読者のハガキを紹介するコーナーだった「パズリスト◎ニコリスト」が巻頭に移り、「ニコリランド」と改名して再スタート。

また、当時は「クロスビー」でエッセイを連載していた夢枕獏氏が、唐突にニコリ本誌にも寄稿。アントニオ猪木のすごさを力説しています。

パズルでは、サムセレクションが初掲載。パズルの種類がますます増えてきますが、どちらかと言えば読み物に特色のある号だったと言えるでしょう。

11号では逆に、パズル面で大きな出来事がありました。まず、カックロ、マックロ、ケイスケがそろってニコリ初掲載。ナンスケとともに、数字系の定番パズルとしてニコリの名物となっていきます。

この号では、パズル界の巨人・芦ヶ原伸之氏もニコリ初登場。16号まで毎号、難解なパズルを出題しました。

現在”Maze Composition”を連載しているお便所コーロギ氏(当時のペンネームは「便所コーロギ」)も、この号で迷路作家としてデビューしました。

一方、それまでドルードルしかなかった読者参加型のコンテストですが、この号から「ポチポチコンテスト」と「クロスカウンター(のちのロハコン)」がスタート。コンテストはこのあと、ニコリの大きな柱となっていきます。

12号はページ数が増えて、定価も360円にアップ。ここから、デザイナーの吉岡博氏(吉)が参加。現在に至るまで、本文と表紙のデザインを引き受けていただいてます。

この号では、のちに世界を席巻する数独(当時は「数字は独身に限る」)が初掲載されました。ただし当時は、ページの片隅にひっそりと載る存在。一方、碁石ひろいもニコリ初登場で、こちらはほぼ1ページ割かれていました。

湯沢一之氏の浮き出しメイロが本格的に始まったのもこの号。11、12号でニコリのパズルは大きな進化を遂げたと言っていいでしょう。