1980年のニコリを振り返る
1980年に発売されたニコリ
「パズルの雑誌 創刊準備号」 5月発行
創刊号 8月15日発行
2号 11月25日発行
1980年のニコリを振り返る
1980年8月、鍜治真起(起)、樹村めい子(め)、清水眞理(ま)の3人によって、日本初のパズル雑誌「パズル通信ニコリ」が創刊されました。実際には、その3カ月前に創刊準備号が発行されていて、日本のパズル雑誌の歴史は、この創刊準備号から始まったと言っていいでしょう。なお、創刊当時は発行形態が決まってなく(不定期発行)、ニコリは会社でもなく、発行所の「魔法塵(まほうじん)」は樹村の自宅でした。
創刊準備号にはまだ「ニコリ」という誌名はなく、「パズルの雑誌 創刊準備号」という名でした。体裁は、ムラのある赤い表紙に、本文28ページ。定価は書かれてなく、100円で売られていました。ニコリ独特のタテ長の判型(「B5変型」と呼んでいる)は、この創刊準備号からのもので、月刊で発行されていた1年間(1998~1999年)を除いて、ずっとこの形です。
内容は、クロスワード、スケルトンパズル、迷路、虫くい算など。大きいクロスワードに「ビックロ」と名付けていて、この名は現在も続いています。
また、クロスワードの黒マスの場所だけ決めて、そこから先は読者がクロスワードを作る「課題クロス」の募集もありました。ニコリは、読者との交流や投稿パズルが誌面の大きな柱になっていますが、創刊前からそれはスタートしていたと言えるでしょう。
そして8月、ニコリ創刊号が発行。本文は50ページに増え、定価は200円でした。
「ニコリ」という誌名は、その年のイギリスダービーで1番人気だった(が結果は敗戦)馬の名前”Nikoli”から取りました。ということで、メーンキャラクターの「ニコリ」も馬となり、創刊号から登場しています。
パズルでは、クロスワードや虫くい算などのほかに、ブロックパズル、まちがい探し、漢字尻取り迷路に雀パイブロックも加わり、すでにかなりバラエティに富んだ内容でした。
創刊準備号に寄せられた読者のハガキを紹介するページや、創刊準備号で出題した「課題クロス」の発表ページもあり、読者との交流は早くも始まっています。
また、裏表紙では「ドルードル(描かれた絵が何に見えるか、想像力で答える)」の出題もスタートしていますが、この時点ではまだ読者参加型のコンテストにはなってなく、単に出題をしていた、といった感じでした。
2号では、初のパズル特集「シンガースケルトン」が登場します。
この頃には、「パズル懇話会」などで活躍しているパズル愛好家のみなさんから、虫くい算、ふくめん算を中心に、良質なパズルが多数寄せられるようになりました。当時の日本のパズル界にとって「パズル雑誌創刊」は大きなニュースだったようです。
また、2号では、「出張馬房(ニコリを売っている店一覧)」のページもスタート。当時は、首都圏で27店、それ以外3店の30店で、ニコリは発売されていました。