2004年のニコリを振り返る
2004年に発売されたニコリ
106号 3月10日発売
107号 6月10日発売
108号 9月10日発売
109号 12月10日発売
2004年のニコリを振り返る
2004年は、ニコリにとって大きな悲しみに包まれる年となりました。日本のパズル界の第一人者として活躍し、本誌でも「パズル病棟日誌」を長年にわたって連載されていた芦ヶ原伸之さんと、ニコリ社員の都沢陽子さんが、夏に相次いで亡くなりました。
そんな悲しみを背負いながらも、本誌は予定通り年4冊発行されました。また、この年の社員が増え、佐藤徳治(佐)と近藤昌美(近)が新たにニコリスタッフに加わりました。
出版物では、秋に「ペンパMIX」と「激辛数独」が登場。このほかには、「オモロパズル大全集」「パズル・ザ・ジャイアント傑作選」、そして「パズル病棟日誌」をまとめた本「パズルの宣教師」が発行されました。
106号からまた「オモロパズルのできるまで」が盛り上がり、5ページの拡大バージョン。この年は「オモロパズル大全集」の発行に刺激を受けた作者が多かったのか、投稿作品が多くてずっと5ページでした。この号では、ヌルオミノ(のちの「LITS」)が初登場を果たしました。
1つのパズルをたくさん載せる「Special」は、ペイントパズル特集。9種類のパズルを解いたら絵が出る、という大作「苦手なパズルはありますか?」も掲載されました。
ハミダシで続いていた「100字で売り込もう」が105号をもって最終回となり、この号からは漢字の字源を勝手にでっち上げるコーナー「カンゲンコン」がスタートしました。
107号で「Special」は最終回。トリを飾ったのは波及効果でした。次号からは、ほとんど同じコンセプトの「どっさり」シリーズが始まることになります。
とじこみのスーパージャイアントには、天体ショーが初登場。天体ショーのジャイアントは好評で、その後何回か掲載されます。
そして108号。芦ヶ原伸之さん、都沢陽子さんが相次いで亡くなり、本誌では芦ヶ原さんの追悼記事を4ページにわたって掲載しました。
ペンシルパズル本シリーズが第100巻を迎えることになり、これまでの表紙を使ってメイロを作成。カラーページに掲載しました。
この号から「どっさり」がスタート。第1回はへやわけ。ちなみにSpecialの第1回もへやわけでした。「どっさり」では、下の空いているスペースで、そのパズルにまつわるクイズを出題しました。
「オモロパズルのできるまで」では、書き取りスケルトンが初登場。これはすぐに漢字の定番パズルとして巣立っていきました。
109号の「どっさり」には変型クロスワードが登場。黒マスのない「ボーダーラインクロス」や、端がない「ループクロス」など、この号ならではのクロスワードがたくさん掲載されました。
カラーページでは、ついに出たかという感じで「カラー天体ショー」が登場。
この頃、ニコリのパズルが海外でも少しずつ広まり、「ペンパポンパ」ではパズルの英語名を一挙紹介。実はこの翌年に、世界的な数独ブームが来るのです。