1991年のニコリを振り返る
1991年に発売されたニコリ
33号 3月1日発行
34号 6月1日発行
35号 9月1日発行
36号 12月1日発行
1991年のニコリを振り返る
創刊10周年のお祭りが終わり、順調に巻を重ねた1991年。「オモロパズルのできるまで」は引き続き好調で、33号でぬりかべ、34号で黒マスはどこだ(現「黒どこ」)があいついで誕生します。
また、12月には「パズル・ザ・ジャイアント」のVol.1を発行し、スリザーリンクやひとりにしてくれなどを掲載。ニコリ発の新パズルが順調に育った一年でした。
33号では、メイロの作家が担当をチェンジ。「ザ・浮き出しメイロ」をお便所コーロギ氏が、「Graphic Maze」を湯沢一之氏が制作。いつもとは違う風味のメイロが楽しめたのでした。
メイロといえば、この号から裏表紙で「Maze Gallery」がスタート。簡単でなおかつ美しいメイロが掲載されます。
読み物では、「サイコロを主役にしよう」が最終回を迎えました。なぜかニコリがサイコロ22万個をひきとるハメになり、そこから始まった企画なのでした。
「パズル写真館」もこの号が最終回。代わって「なんでもアンケート」の募集がスタート。第1回のテーマは「ペンネーム・人気投票」でした。
34号では、「大場惑のこれもパズルだ」がスタート。SF作家の大場惑氏が、毎号いろいろな切り口でパズルやパズルっぽいものを取り上げるコーナーで、長期連載となりました。
35号の特集は「かける」。今までは名詞がキーワードになることがほとんどでしたが、この号では初めて動詞がテーマになりました。
後半のパズルページでは「迷路アラカルト」と題して、10ページでメイロを特集しました。
人気パズルに成長したスリザーリンクは、この号でついにジャイアントで登場。出世しました。
この年、ニコリ編・波書房発行で「クロスワード辞典」を刊行。評判となり、「本の雑誌」に取り上げられた顛末が、この号の「ニコリ平面放送局」で紹介されています。
また、新連載「(仁)の営業日誌」もスタートしました。が、掲載されたのはこの号だけでした。
36号は、内容的に大きな変化はなかったのですが、編集人が(起)から(金)に変わりました。実質的には、そのかなり前から(金)が編集人だったような気がしますが…。それはともかく、この号から編集後記が2ページに拡大され、社員全員と(吉)が後記に登場します。