1989年のニコリを振り返る
1989年に発売されたニコリ
24号 1月1日発行
25号 3月20日発行
26号 6月10日発行
27号 9月1日発行
28号 12月1日発行
1989年のニコリを振り返る
ニコリが季刊になって3年目。25~27号にかけては発行日を10日ずつ早め、27号からは前年よりもひと月前に発行するようになりました。
また、26号の発行前に会社が参宮橋から代々木上原に移転。同じ頃に消費税が導入され、本誌の値段はほんの少しアップ。誌面では、「オモロパズルのできるまで」からスリザーリンクや四角に切れが誕生するなど、新しいパズルが次々と登場。いろいろな動きがある年でした。
24号の特集は「線路は続くよどこまでも」でしたが、ここではいろいろな企画を行いました。「月刊ニコリスト」読者に呼びかけて切符を集め、同じ切符探しや駅名尻取り迷路などを掲載。さらに、「全国遅めぐりコンテスト」(稚内から鹿児島まで、できるだけ時間をかけて列車で移動しようというコンテスト)を開催。いつもの号と違い、かなり画期的な内容でした。
巻末では、今までほとんど載せたことがなかった双六を2つ掲載。「とっさのひとこと双六」と「モモタロウ双六」でした。
25号では、カナオレが初登場。「オモロパズル」のコーナーではなく、いきなり新パズルとして掲載されました。なお、2問目のタイトルは「ヘビじゃ」で、以降カナオレではタイトルに必ず「じゃ」がつくようになりました。
「裁ち合わせパズル」(図形を切り離して並べ替え、別の図形を作るパズル)も初登場。次の号から巻末で出題されるようになります。
26号では、「オモロパズルのできるまで」で最大のヒットと言えるスリザーリンクが誕生しました。この誕生はなかなか劇的で、「スリザーリンク」として最初に投稿されたパズルは、ナンバーリンクのようにマス目に数字が入っているパズルでしたが、ほぼ同時に来た「ナンピツ」という、点と点の間に線を引くパズルと合体して、今のスリザーリンクが生まれたのでした。
この号はメイロも多く、5ページで5題掲載されました。パズル本紹介ページでも、メイロが主役でした。
推理パズルでは、密かな(?)人気シリーズになる「頭脳戦隊 ニコリマン」(作・れっどふぁるこん)が初登場。
読み物ページでは、身近なパズルっぽいものにスポットを当てて実践的に紹介するコーナー「Puzzle Eye」がスタート。現在の「ニコリ何でもスコープ」の前身と言えます。第1回のテーマは「ロープの結び方」でした。
27号も「オモロパズルのできるまで」は盛り上がり、スリザーリンクが多数掲載されたほか、四角に切れも初登場。
26号では東洋ガラスのパズルグッズが紹介されていましたが、この号の「パズル病棟日誌」では、島根県匹見町の木のパズルを紹介しました。以降、パズルグッズなどの広告ページが増えていきます。
「平均大賞」の設問が前号で100に達し、この号でいったん最終回。これまでの全問の結果を、2ページでおさらいしました。
身近にある不思議なものを写真で紹介する「パズル写真館」もこの号からスタートしています。
28号は、以前好評だったパズルの新作が2つ登場。
まず、18~23号でお送りした「日曜日に町を作る」シリーズの新作「日曜日に国を攻める」が登場。
そして、この年は某関西プロ野球チームがリーグ優勝し、それを記念して、不定期刊時代の人気推理パズル「9人の侍」が、1回だけの復活をはたしました。
また、この年は鈴木範子(の)(現在の編集後記などに登場する(の)とは別人)、堀川仁(仁)が社員となり、目次ページにあるスタッフの後ろ姿イラストに初登場となりました。